「いつ、続編書くんだよ」と突っ込まれてました佐藤ガリレオです。
続編です。
で、入院生活ですよ。
先生には「即入院!」と言われまして、当時仕事が山盛りでしたので、「仕事が…」とか言っても聞いてもらえるわけもなく。「身体なけりゃ仕事できないじゃん」と正論を突き付けられまして。
で、この入院生活始めてみて驚いたんですが、
完全絶食でした。
絶食って水くらいは良いのかな程度に思ってましたが、なんと「水もだめ」とのことです。はい。
「いや、死ぬだろ。逆に」と感じたくらいです。
絶食治療という「治るまで」という終わりのない旅にでることになりました。
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そして、痛みもあったので、問答無用で先生に従い、入院しました。
これが、まあ。辛い。辛い。
絶食中は当然、点滴で凌ぐわけですが、腹は減ります。はい。当然です。
日が経つにつれて・・・
3日後
「飴くらい舐めさせてください。先生。」
1週間後
「飴がダメなら塩くらい・・・」
2週間後
「塩もダメならタオルでも噛んどきましょうか」
ってくらい極限状態となってきました。
「あなたの膵臓(すい臓)は120歳。」と宣告
で、入院してから事の深刻さに気付かされるわけです。
膵臓がどれだけ重要な役割を担っていた内臓か。とかインスリンを分泌してる臓器だということすら、恥ずかしながら入院して初めて知りました。
とりあえず、入院初日から
医者
今夜、熱が下がらなかったら、転院して大病院のICU(集中治療室)に入ってもらうから!」
と告げられたあたりから、「うん!?重症?」て感じをビシビシと感じていたわけです。
そして、とある日、また途中の検査結果を見ながら
医者
あ~佐藤さんの膵臓は120歳くらいの膵臓だから。つまりボロボロ。自覚しなさい。
と言われる始末。。。
つまりは、死にかけです。はい。
断酒(卒酒)を決意!
先生と話ししていると「もちろん酒とかダメよ。やめてね」ってあっさり言われます。そう「こんにちは」の言葉くらいあっさりと言われちゃうんです。
当時の私はアル中ではないにせよ、「お酒」が人生に与えてる影響力が大きく。
「そんなん無理やろ。。。断酒とか無理。」って、正直な感想でした。
お酒の場でコミュニケーションをとることや週末になると友人と飲みに行くことをある種の仕事や人生のモチベーションとしていましたので、想像がつきませんでした。
でも、酒をやめて7年以上経った、今から当時の僕やこれから何らかの理由で酒をやめなきゃならない人に言ってあげたい言葉があるとすると「余裕ですよ」。って言葉です。
実際に今も、酒はやめても飲みに行くことは多いですし、周りの人たちも理解して誘ってくれています。
当然、自分自身の身体のことで周囲に「変に気を使わせたくない」って気持ちも当初はありましたが、今は自然になってきちゃって、自然に「飲みに行こう!」と後輩を誘うことも多くなってきました。
もちろん、目上の人などとの宴席でもソフトドリンクやノンアルコールビールを飲むわけですが、社会背景的にも割と酒を飲まない人間の「酒の席での市民権」的なものは確立してきているので、そこまで浮いた感じもないですし。
少し前までは「は?飲まないの?」「え?ワシの盃が●×%$…」的なものはありましたからね。
良い時代に急性膵炎になったものです(笑)
過酷な1か月を経て、退院へ
少し話が逸れましたが、そんなこんなで3週間程度、一切飲まず食わずで点滴で凌いで、1か月程度で退院となりました。
それからもしばらくはアルコールはもちろん「脂っこいもの」「辛いもの」なんかは避けて半年くらいで元の生活に戻ってきました。
ひとつ解ったことは「世の中で美味しいと言われているものは脂分が多い」ということです。それだけ、自分の食生活には脂分が多く、誘惑に負け続けていたということです。
おかげでそれからの7年間は薬を飲むこともなく、至って健康。
食生活も元に戻って、人間らしい生活を送っています。
酒だけはやめてますので、その点はありますが、やはり「身体が資本」ですからね。良い言葉です。
まとめ
●お酒はほどほどに。っというか、人によって許容量は違いますよ。
●酒強いとか言われてる人ほど気を付けよう。脳が鈍感なだけ。身体の負担は別。
●絶食は辛い。しかし病はもっと辛い。
●酒好きでも断酒はできます。そして、しっかり酒のコミュニケーションも維持できてます。(ジンジャエールは神様の贈り物)
●すい臓は重要!ガチで大切にしてください(切実)